大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

富山地方裁判所 平成3年(ワ)55号 判決 1994年6月01日

主文

一  被告は、原告室口明子に対し金二二〇万円、原告室口光広及び原告室口康寛に対しそれぞれ金一一〇万円及び右各金員に対する平成三年四月一六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、これを五分し、その四を原告らの負担とし、その余は被告の負担とする。

四  この判決は第一項に限り、仮に執行することができる。

理由

第一  請求

被告は、原告室口明子(以下「原告明子」という。)に対し一〇二五万円、原告室口光広(以下「原告光広」という。)、原告室口康寛(以下「原告康寛」という。)に対し各五一二万五〇〇〇円及び右各金員に対する平成三年四月一六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

本件は、原告らの被相続人室口松男(以下「松男」という。)が職場で定期健康診断を受けたにもかかわらず、原告の被用者であり公務員である者の過失により、胸部エックス線写真の異常が見過ごされ又は発見された異常につき精密検査の指示の通知がなされなかつたために、肺癌に対する処置が手遅れとなり死亡したとして、国家賠償法又は民法七一五条に基づき、被告に対し、損害の一部の賠償を求めた事案である。

一  当事者間に争いのない事実

1(一)  原告明子は松男の妻であり、原告光広と原告康寛は松男の子である。

(二)  富山逓信病院(以下「逓信病院」という。)は、被告が経営する病院である。医師永井幸広(以下「永井医師」という。)は昭和六二年四月ころ、医師山形章夫(以下「山形医師」という。)及び看護婦中知山芳江(以下「中知山看護婦」という。)は、昭和六三年六月ころ、それぞれ同病院に勤務していた。

2(一)  松男は、昭和六二年及び昭和六三年当時郵政事務官として魚津郵便局に勤めていた。松男は、昭和六二年四月二一日、魚津郵便局構内に派遣された逓信病院の管理する胸部検診車内で、定期健康診断のための胸部エックス線間接撮影を受けたが、これを読影した逓信病院の担当医の永井医師は、松男の右肺上部に陰影を認めたものの、精密検査は不要であると判定した。

(二)  松男は、昭和六三年六月七日、魚津郵便局構内の胸部検診車内において定期健康診断のための胸部エックス線間接撮影を受け、翌八日、同所において胸部エックス線直接撮影を受けた。このフィルムを読影した逓信病院の担当医の山形医師は、さらに精密検査が必要であると判断した。

(三)  松男は、昭和六三年一一月四日、魚津郵便局構内に派遣された逓信病院の管理する胃検診車内で、胃検診を受けた。

(四)  松男は、平成元年三月二三日、逓信病院で胃の精密検査を受けた際、胸部のエックス線検査を受診し、右肺上部に異常があることを告知され、富山市民病院を紹介された。松男は、同年四月一五日、富山市民病院内科で精密検査を受け、同日入院し、同年五月三〇日、手術のため同病院呼吸器外科に転科し、同年六月一四日、右肺切除術を受けたが、平成二年一〇月四日、富山市民病院において死亡した。

3  松男は、死亡時五七歳で年収五九四万〇一七九円を得ており、定年は六〇歳であつた。

二  争点

1  昭和六二年度定期健康診断における永井医師の過失行為

永井医師は、松男の右上肺野に異常陰影を認めたのであるから、魚津郵便局長あるいは魚津郵便局衛生管理者を通じて松男に精密検査を受診するよう指示すべき義務があるところ、誤つて精密検査を不要と判断し、もつて右義務を怠つたものか否か。

(一) 原告らの主張

(1) 昭和六二年度定期健康診断の胸部エックス線写真では、右上肺野に径二センチメートル以下の空洞を伴う小型のごく淡い異常陰影(以下「本件異常陰影」という。)が認められたところ、前年度の胸部エックス線写真と比較読影した場合、陰影の大きさが増大し、形自体も変化していた。

(2) 担当医師は、比較読影により陰影が増大している本件異常陰影を認めた場合、肺癌を疑い、肺癌に関する精密検査を受けるよう指示しなければならない。

(3) 本件異常陰影を炎症所見ととらえた場合でも、何らかの病気に罹つていると疑われることから、担当医師は、まず精密検査を指示すべきである。そして、精密検査を行つていれば、その過程で松男が肺癌に罹患していることが発見できた。

(4) しかるに、永井医師は、精密検査を不要であると判断した。

(二) 被告の主張

(1) 本件定期健康診断における胸部エックス線検査は、肺癌に焦点を合わせた検診としてなされるものではなく、肺結核の発見に重点を置いて実施してきたものであるから、肺癌検診として本件定期健康診断における胸部エックス線写真の読影及びその事後措置の過誤を論ずることはできない。

(2) 永井医師は、松男の胸部エックス線写真に孤立性陰影を認め、前年度の定期健康診断におけるエックス線写真と比較読影した結果、形及び大きさに変化が認められず、陰影の辺縁が平滑であり、壁が薄く、内部に突出した部分もなく、緊張性があることから、良性の病変と判断し、陳旧性あるいは炎症性変化の痕跡である蓋然性が最も大きいと判断したものであり、右判断は正当である。そして、永井医師は、陰影が良性であることから、昭和六二年の時点では精密検査の必要性を認めなかつた。

(3) 昭和六一年度のエックス線写真の陰影と昭和六二年度のエックス線写真の陰影とを比較して変化が認められるとしても、右判断は、松男が肺癌を罹つていたことが後年明らかになつたことから、過去に遡つて検討することによつて可能となるものである。

仮に陰影に変化が認められるとしても、これを変化がないとした永井医師の判断は、医師に求められる一定水準を満たす専門的知識に基づくものであり、裁量の範囲内の問題である。

(4) 陰影があるからといつて、肺癌である可能性が少ない場合にも安易に精密検査に付することを義務づけることは、精密検査自体が受診者に対し不便ないし苦痛を与えること、また医療費を要することからして、妥当ではない。

2  昭和六三年度定期健康診断における過失行為(一)

山形医師、逓信病院の中知山看護婦又は魚津郵便局衛生管理者代理小柳英之(以下「小柳」という。)は、松男に再検査の必要な旨を通知することを怠つたか否か。

(一) 原告らの主張

山形医師は、松男の定期健康診断の結果、同人が肺癌などの病気に罹患している疑いを持ち、更に受診が必要であると判定したのであるから、魚津郵便局長あるいは同郵便局衛生管理者を通じて松男に対しその旨を通知し、断層撮影、経気管支生検、経皮生検などの精密検査を受診させる義務があるところ、山形医師が右義務を怠つたか、山形医師から指示を受けた中知山が小柳に右の旨を連絡することを怠つたか、あるいは中知山から右の旨の連絡を受けた小柳がこれを松男に通知することを怠つた。

(二) 被告の主張

逓信病院健康管理科所属の看護婦は、山形医師の指示及び健康診断票の胸部エックス線検査欄の医師のスケッチ判定を見て、小柳に、松男を来院させるよう電話で連絡し、小柳は、松男に、逓信病院に行つて検査をするよう連絡した。

3  昭和六三年度定期健康診断における過失行為(二)

(一) 原告らの主張

松男の所属する局の長である魚津郵便局長は、罹患していることが判明した職員には、病状に応じた適切な治療を受けさせるなどの事後措置をとらなければならず、指導票を作成のうえ事後措置の状況を明らかにしなければならない(郵政省健康管理規程)。

魚津郵便局長は、昭和六三年度定期健康診断において、松男に精密検査が必要な旨の通知を受けながら、精密検査を受けさせず、肺癌に応じた適切な治療の指導を怠つた。

(二) 被告の主張

松男は、昭和六三年度定期健康診断における胸部エックス線直接撮影の後、逓信病院に検査に来るように連絡を受けながら、逓信病院に来なかつたため、病名の決定ができなかつた。したがつて、魚津郵便局長は、病名が判明しないため、松男に対して適切な指導措置をとることができなかつた。

4  永井医師の過失行為と結果との因果関係

(一) 原告らの主張

昭和六二年度定期健康診断当時、松男の右肺上部にあつた陰影は早期癌であり、昭和六二年度定期健康診断において精密検査を行い肺癌に対する治療がなされれば、松男は八〇パーセント以上の確率で治癒したものである。

(二) 被告の主張

昭和六二年度定期健康診断において、永井医師に過失はなく、したがつて、松男の生存率は問題とならない。

5  山形医師、中知山看護婦、小柳又は魚津郵便局長の過失行為と結果との因果関係

(一) 原告らの主張

昭和六三年度定期健康診断において精密検査を行い肺癌に対する治療がなされれば、手術は昭和六三年八月ころに行われたと考えられるところ、その時点においても松男の肺癌は早期癌であり、リンパ節への転移の可能性も低く、松男は八〇パーセント以上の確率で治癒したものである。

(二) 被告の主張

腺癌が倍の大きさに成長する平均期間は一一六日であり、昭和六三年八月ころには、松男の肺癌は径二〇ミリメートルを超える進行癌になつていた可能性が極めて大きく、また、肺門のリンパ節及び縦隔リンパ節に転移していた可能性が極めて大きい。

松男は、自己の健康管理に対して極めて無頓着であり、到底平均寿命まで生を長らえたとは思われない。

また、松男は、不摂生な生活を継続しており、同人に平均的な手術後五年生存率を当てはめることは妥当ではない。

松男は、自らの健康管理を疎かにしていたことから、同人が手術を回避しようとして、さらに手術が後れたことも十分考えられる。

6  損害

(一) 原告らの主張

(1) 松男は、早期に適切な治療を受けていれば、定年である六〇歳までの三年間にわたり引き続き郵政事務官として勤務して死亡時と同程度の収入を得ることができたから、定年までの逸失利益は、生活費として三〇パーセントを控除し、ホフマン方式により中間利息を控除すると、一一三五万五八四〇円となる。

(2) 松男は、早期に適切な治療を受けていれば、退職後六七歳までの七年間にわたり、平成二年度賃金センサス産業計・企業規模計・学歴計・五五歳ないし五九歳の男子労働者の平均年間賃金四四七万八七〇〇円に相当する収入を得ることができたから、その間の逸失利益は、生活費として三〇パーセントを控除し、ホフマン方式により中間利息を控除すると、一五二四万五九四二円となる。

(3) 松男が、被告の被用者であり公務員である者らの重大な過失により死期を早められ幸せな家庭生活及び社会生活を完全に奪われ、又は適切な治療を受ける機会を奪われたことによつて被つた精神的苦痛を金銭に評価すると二〇〇〇万円を下らない。

(4) 原告らは、松男の右逸失利益及び精神的損害に相当する損害賠償請求権を相続した。

(5) 原告らは、平成三年四月三日、原告ら訴訟代理人らに対し、本件訴訟の追行を委任し、報酬として原告明子は二五万円を、原告光広、原告康寛はそれぞれ一二万五〇〇〇円を支払う旨を約した。

(二) 被告の主張

損害額を争う。

松男は、四〇歳台の前半にして、高血圧症を患い、過度の飲酒、喫煙を長年続けていたものであり、肺癌の手術のために入院した後もタバコを吸つており、自己の健康管理に対して極めて無頓着であり、肺癌の罹患がなくとも平均寿命まで生きられなかつた。

第三  争点に対する判断

(本件各書証について、その成立又は原本の存在及び成立は、当事者間に争いがないか弁論の全趣旨により認められる。)

一  昭和六二年度定期健康診断における永井医師の過失行為について

1  《証拠略》によれば、昭和六二年四月二一日実施の定期健康診断において、松男の胸部エックス線間接撮影フィルムを読影した永井医師は、右肺上部に空洞を伴う陰影を認め、一旦、健康診断票に精密検査を必要とする旨の印を付けた後、前年度の定期健康診断時の胸部エックス線間接撮影フィルムと比較し、変化がなく形態も悪性を示していないと判断し、逐年的な健康診断で足りると判断して、健康診断票の精密検査を必要とする旨の記載を抹消し、これを不要とする旨を記載したことが認められる。

2  他方、《証拠略》によれば、次の事実が認められる。

昭和六一年度及び昭和六二年度の定期健康診断における松男の胸部エックス線間接撮影フィルムには、いずれも右肺上部に空洞を伴う陰影が認められるところ、これらを比較すると、陰影の大きさ及び形が変化しており、空洞が明確になつている。

これらの陰影は、松男のその後の疾患の進行から振り返れば腺癌によるものであつたが、右定期健康診断における胸部エックス線間接撮影は肺癌の発見に重点を置いたものではなく、また右フィルムの陰影からは悪性の病変を疑わせる所見が乏しく、結核性の病変が最も強く疑われるものであつた。しかしながら、結核性の病変であると疑われる場合であつても陰影が増大しているときには、精密検査をするのが一般的である。そして、結核の疑いをもつて行われる精密検査の過程で結核菌が発見されず癌細胞が発見される可能性があつた。

3  すると、右の松男の胸部エックス線間接撮影フィルムの所見から肺癌を疑うことは困難であり、永井医師が右所見から肺癌を疑い肺癌に対する精密検査を指示すべきであつたとはいえない。

しかしながら、昭和六二年度の定期健康診断における胸部エックス線間接撮影フィルムにおける陰影は前年度のものと比較して変化していたものであるから、前年度のフィルムと比較して右陰影に変化がないとした永井医師の判断は、誤つていたものと認められる。

4  これに対して、被告は、昭和六二年度のエックス線撮影フィルムに発見された陰影を前年度のものと比較して変化がないとした永井医師の判断は、医師に求められる一定水準を満たす専門的知識に基づくものであり、医師に求められた裁量の範囲内の問題であるとし、また、肺癌である可能性の少ない陰影がある場合に安易に精密検査に付することを義務づけるのは妥当ではないと主張する。

確かに、定期健康診断においては、短時間に大量の間接撮影フィルムを読影するものであるから、その中から異常の有無を識別するために医師に課せられる注意義務の程度にはおのずと限界があり、鑑定人小中が供述するように、昭和六二年度定期健康診断時に撮影されたエックス線間接撮影フィルムにおける陰影は、短時間の読影では見逃されるおそれがあることも否定できないところ、右読影の過程において本件異常陰影を発見しフィルムの比較読影を試みた永井医師の判断は、一面において要求される水準を十分に満たすものであつたと認められる。しかしながら、永井医師が本件異常陰影を発見し、一度は精密検査が必要と考え、松男のフィルムにつき前年度のものと比較読影して右陰影につき医学的判断を下す段階においては、前記のように大量のフィルムを読影するという状況ではなく、認識した個別の検査結果の異状の存在を前提に一般的に医師に要求される注意を払つて判断しなければならないものと考えられる。そして、前述のとおり鑑定の結果によれば、本件異常陰影が前年度の陰影と対比して客観的に変化しているのであるから陰影の変化の有無という判断自体には裁量の余地はないものと認められ、永井医師は右判断において要求される注意義務を怠つたものといわざるを得ない。

また、定期健康診断は、病気の有無を診断し、職場において必要な措置を行うことを目的とするものであるから、本件のように肺癌の可能性が少なく結核性の炎症が最も疑われる場合であつても、前年度と比較して陰影に変化がある以上、そのまま放置して翌年の定期健康診断まで様子をみることで足りるか否かを判断する前提として、精密検査を通じて陰影の原因を調査すべきであつた。

5  したがつて、永井医師が、昭和六一年度の定期健康診断時におけるフィルム上の陰影と本件異常陰影とを比較読影した際に、陰影に変化がないと判断し、精密検査を指示しなかつたことには過失があつたものと認められる。そして、前記認定のとおり、陰影の変化を認めていれば、肺癌を疑わなくとも結核性の炎症を疑い精密検査を行うべきであり、精密検査を行つていれば、肺癌を発見しえたものと認めるのが相当である。

二  昭和六三年度定期健康診断における過失行為(一)について

1  《証拠略》によれば、次の事実が認められる。

(一) 定期健康診断及びその後の措置については郵政省健康管理規程が定められているところ、同規程によれば、定期健康診断を行つた医師は、定期健康診断における検査の結果、胸部の精密検査が必要と認められる職員をその所属する局の長(以下「所属長」という。)に通知し、所属長は、通知のあつた職員に対し、精密検査を実施するものとされている。そして、健康診断の結果は健康診断票に記入するものとされており、健康診断を行つた医師は、右記録を総合して指導区分を決定したうえ、健康診断票を所属長に送付するものとされている。また、健康診断後の措置として、管理医が、長期にわたる疾患を有すると診断された職員につき健康回復に必要な医学的措置を決定し、所属長に通知し、所属長は、右通知及び健康診断の結果に基づき一定の措置を行い、指導票を作成して事後措置の状況を明らかにしておくものとされている。

(二) 山形医師は、昭和六三年六月七日、同日撮影された松男の胸部エックス線間接撮影フィルムを読影し、右肺上部に陰影を認めて前年度のフィルムと比較したところ変化があつたことから、胸部エックス線直接撮影が必要であると判断し、看護婦及び魚津郵便局衛生管理者代理小柳を通じて、翌八日、松男に胸部エックス線直接撮影を受けるよう指示した。

山形医師は、翌九日、前日撮影された松男の胸部エックス線直接撮影フィルムを読影し、前年度のフィルムに見られた空洞が変化していることを確認し、さらに精密な検査が必要であると判断し、松男の健康診断票に「昨年と変化あり」「要受診」と記載して他の健康診断票と別に置き、健康管理科の看護婦に、口頭で、松男への連絡を指示した。

小柳は、松男の胸部エックス線直接撮影が行われた二、三日後、健康管理科の看護婦から、電話で、松男にもう一度検査を受けるよう伝えて欲しい旨の連絡を受け、その日のうちに松男に対して、また検査を受けなければいけないという連絡が逓信病院からあつたので、もう一度検査して来るよう口頭で伝えた。

その後、一週間以内に血液検査の結果等が出て、山形医師は、松男の健康診断票の意見欄及び指導票の指導事項欄に、それぞれ高血圧につき治療継続を要しγ-G・T・Pが高値なので経過観察を要する旨を記載したが、胸部の疾患については、既に要受診という記載をしており、未だ病気が特定できていないことから、健康診断票の検査医意見欄にも指導票の病名欄及び指導事項欄にも記載しなかつた。

(三) 逓信病院は、魚津郵便局に、同年七月末ころ、健康診断票を送付し、その後、全職員分の結果記録表、指導票、個人あてのお知らせ票、精密検査が必要な人の一覧表を送付したが、全職員の結果記録表及び精密検査が必要な人の一覧表には松男について胸部の精密検査が必要な旨の記載がなかつた。小柳は、右記載がないことを見て、これでよかつたのかなと思つた。

2  ところで、松男の姉蓮池恵美子が代筆して作成された松男名義の「要請書」題する書面には、昭和六三年度の定期健康診断における二度目のエックス線撮影の後、松男にも小柳にも、松男について肺の精密検査が必要である旨の通知が無かつた旨が記載されており、《証拠略》によれば、松男は、生前に何度も、同人の姉の夫である同証人に対して、昭和六三年度の定期健康診断のときには肺について何も聞いていなかつたと言つていたことが認められる。

原告らは、右の事実に加えて、右のとおり精密検査が必要な人の一覧表等に松男の記載がないことから、精密検査を受けるようにという連絡がなかつたことは明らかであると主張する。

3  確かに、《証拠略》によれば、同年一一月に行われた胃検診の結果、松男に対して精密検査を受けるよう指示がなされ、その後、再三にわたり逓信病院から検査を受けるよう催促がなされたことが認められ、これを併せ考えると、山形医師が松男の胸部エックス線直接撮影フィルムを読影して、さらに精密検査を行う必要があると判断した後、逓信病院の定期健康診断の事務処理上の書面にはその記載がなされなかつたのは不自然ではないかとの疑いも生じないではない。

しかし、山形医師が健康診断票の意見欄及び指導票の指導事項欄に胸部疾患に関し特段の記載をしなかつたことについての同医師の説明はそれなりに合理的である。また、制度上、胃検診の場合は、精密検査を受けその結果について逓信病院から郵政局に報告する必要があるのに対し、肺検診の場合は、精密検査として直接撮影まで要請されているものの、その結果に基づく受診については、これを指示することが必要とされているが、実際に受診するかどうかは受診者の意思に委ねられていることが窺われ、右差異から受診者に対しその後の対応を督促する態度に差異が生ずることは十分考えられるところである。

そして、胸部の間接撮影により松男に直接撮影の必要を認めた山形医師からの指示連絡は、直ちに逓信病院健康管理科看護婦から小柳に、小柳から松男に告知されたことは明らかであり、この時点で機能した右告知システムが、六月九日以降の時点で突然機能しなくなるというのは不自然であり、これに《証拠略》を総合すれば、松男につき指示票等の書類に医師の受診を必要とする旨の記載をしなかつたことは被告側の不手際であるけれども、このことから直ちに、再度の精密検査を必要と判断した日に口頭で健康管理科の看護婦に連絡を指示した旨の《証拠略》及び健康管理科の看護婦から松男の再検査につき連絡を受け松男に伝えた旨の《証拠略》を虚偽であるとはいえない。

また、松男が再検査のため逓信病院に行かなかつたことについても、前記のとおり、再検査の理由を知らされていないこと、その後の胃検診後の精密検査の指示にも直ちに応じなかつたこと、及び魚津郵便局から富山市内の逓信病院まで離れていることに照らして、直ちに小柳からの再検査の連絡の存在を否定するものとはいえない。

4  したがつて、逓信病院から松男に対して、一同は口頭による再検査の連絡があつたことを否定できず、精密検査の連絡を怠つた過失行為を認めることはできない。

三  昭和六三年度定期健康診断における過失行為(二)について

前記二、1に認定したとおり、松男は陰影の原因となる疾患を特定するための精密検査を受けていないから、魚津郵便局長が松男に対して病状に応じた適切な措置をとることはできず、この点に過失行為はない。

四  過失行為と損害との因果関係について

《証拠略》によれば、昭和六二年度の定期健康診断における松男の胸部エックス線撮影フィルムに写つた陰影によれば、腫瘍の径は二センチメートル以内の可能性が高く、肺癌の病期分類方法として用いられるTNM分類では、原発腫瘍の状態としてはT1(腫瘍径三センチメートル以内)に分類され、リンパ節への転移がなければ、近年における手術後五年生存率は八〇パーセントを超えることが認められる。しかしながら、昭和六二年度の定期健康診断当時、松男の肺癌がリンパ節に転移していなかつたことを認めるに足りる証拠はない。

この点につき、原告らは、東京医科大学病院におけるT1の症例のうちリンパ節転移のなかつた症例の割合は五七パーセントであること、昭和六三年度定期健康診断時における腫瘍径が一八ミリメートルであることから昭和六二年当時には、より小さく、したがつて、リンパ節への転移がなかつた可能性がより高いこと、鑑定人小中は、平成元年六月の手術時におけるリンパ節への転移の状態から、多分一年あるいは一年半位の間にリンパ節への転移が発生したと思われる旨述べていることから、昭和六二年度の定期健康診断時にはリンパ節への転移がなかつたと主張するが、リンパ節への転移には個体差が大きく、統計的な数字によつて、高度の蓋然性をもつてリンパ節への転移がなかつたと判断することは困難である。

したがつて、手術後五年生存率が八〇パーセントを超えるとの原告らの主張を直ちに本件にあてはめることはできない。また、手術後五年生存率によつて、直ちに昭和六二年度の定期健康診断の段階で肺癌の治療を行つていれば治癒しえたものと認めることはできない。

しかしながら、前記証拠によれば、リンパ節への転移の有無を問わずより早期に治療を開始すればより延命の可能性が高まることが認められ、昭和六二年度の定期健康診断の段階で精密検査が実施され、肺癌の治療が開始されていれば、少なくともより肺癌の進行を遅らせることが可能であつたと認めるのが相当である。

五  損害

1  四のとおり、昭和六二年の段階で肺癌の治療をしたとしても、その後、松男が健康な元の生活に戻りえたことを認めることはできず、手術後の松男の状態につき立証がないので、一定期間稼働しえたことを前提とする逸失利益を損害と認めることはできない。

2  しかしながら、松男は、永井医師の過失行為により、早期に肺癌を発見し治療を開始する機会を奪われ、死期を早められたものであり、そのことによつて精神的損害を被つたものである。

松男は、長年にわたり郵政事務官として就労し、原告らの家庭を築き次男の大学卒業と同じ時期に定年を迎えようとしていたものであり、その定年を間近に控えた時期に死期を早められたこと及び職場での定期健康診断への期待を考えると、松男が大きな精神的苦痛を被つたことは推認しうるものである。他方、松男は日に三〇本から四〇本のタバコを喫煙し富山市民病院に入院した後も手術までの間に喫煙をし、また、前記のとおり、昭和六三年六月の定期健康診断の際、理由を告げられなかつたものの再検査を指示されながらこれを怠つたものである。これらの事情とともに永井医師の過失行為の態様等の諸般の事情も併せ考慮すると、松男の被つた精神的苦痛に対する慰謝料は四〇〇万円をもつて相当とすると認められる。

3  原告らがその訴訟代理人らに本件訴訟の追行を委任したことは当裁判所に顕著であり、本件事案の内容、審理経過及び認容額を考慮すると、永井医師の過失行為と相当因果関係のある損害として賠償を求めうる弁護士費用は、原告明子につき二〇万円、原告光広及び原告康寛につき各一〇万円をもつて相当と認められる。

六  以上によれば、被告は、被告の使用する永井医師が被告の事業である定期健康診断にあたり過失によつて松男及び原告らに加えた五に記載の損害につき、使用者として責任を負うところ、原告らは松男の損害賠償請求権を相続したものである。

よつて、原告らの本訴請求は、原告明子につき二二〇万円、原告光広、原告康寛につき各一一〇万円及び右各金員に対する平成三年四月一六日から支払済みまで年五分の割合による金員の支払を求める限度において理由があるからいずれもこれを認容し、その余の請求はいずれも理由がないから棄却し、仮執行免脱宣言の申立てについては、相当でないからこれを却下し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 渡辺修明 裁判官 中山孝雄 裁判官 鈴木芳胤)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例